障害児と呼ばれる子と遊んでわかった大事なこと

障害児と呼ばれる子と遊んでわかった大事なこと
nakayama

こんにちは、なかやまです。
6月に障害のある子供が学校のあとに行く施設に呼ばれる様になりました。
今日はその第一回目に私が受けた衝撃的な感想をまとめます。

障害のある子供たち

Bess-Hamiti / Pixabay

私は以前より障害についてあんどー氏@andyou_andme と議論を重ねてきたのだが(ツイッターで構っているだけ)

基本的な立ち位置としては

障害は社会側にある

と考えています。

簡単に説明すると、どんな障害と言われるものも、社会適合できなくなってしまったことを障害と表現しているからです。

静かにするべき場所で静かにできない。
→それを許さないのは本人ではなく社会でありその結果本人は怒られる。

目が悪い
→目が悪くても伝わる字の大きさになっていない。

障害に関する私の考えについて以前書いた記事

そんな私の前提論を持って施設にお邪魔したところ、驚くべき感想を持ちました。

障害として気になるところを見て欲しい

初めてだったので、どう関わりを持てるか全く想像もしていませんでしたので、タイトルの様なぼやっとした依頼を受けており、心配しながら参加させてもらいました(笑)

実は、昨年に数回ボランティアでお邪魔させてもらっていました。が、その時に子供たちと関わる中で自分の決定的な問題に気づいていました。

それは私が〇〇ができないこと。

私は…

実は…

歌が全然覚えられません。

それがどうしたと思うかもしれません。

ですが、小さな子供たちと関わる時に「歌」を歌えることはすごく武器になります。

しかし、私にはそんな武器を持ち合わせていない。

ほとんど丸腰。やぶれかけの旅人の服、武器なし、あいにく盾もない。

それでも行こう!

行きました。

私はタイトルの気になるトコロを探すことなんて眼中になく、とにかく遊びました。
ええ、湿度が高く、子供たちの汗にまみれながら(笑)

1時間30分ほど遊んで子供たちが帰った時(めちゃバテてました)に、一緒にいた職員さんが私にこう言います。

「子供たちと遊んで気になったところありますか?」

私は考えてこう言いました。

リハビリの専門家として恥ずかしいけどこう言いました。

「ちょっと見当たらないです(笑)」

これだけ長い時間、障害と言われる病気を持った子供と遊んでいて気になるところがありませんでした。もちろん、言葉が出にくかったり、ずっと同じことをしている子はいましたが、そんなの思い返せばそうだったと言う程度のことです。

みんなと遊ぶ中で守るべきルールは

他人に意地悪をしないことだけです。

このルールを破る子供は、見当たりませんでした。

学校のルールから解放された後の施設の時間ではそこに抑圧的なルールが存在しない。
つまり、困る子供は見当たらないんです。

そう思った時、安堵の気持ちと同時にもっと地域やマチ全体、教育全体が寛容でなければならないと言うさらなる強い確信をえました。

障害と学校と親と子供

それから、最近の学校ってどうなのって話を代表の方にお話をお伺いしました。
するとやはり昔ながらの教育が続いており、それによって多様な表現をする子供は抑圧されてしまうとのことでした。それでも理解して頑張ってくれている養護教員の方や学校教員の方もいらっしゃる様です。

また親御さんも寛容な方からナイーブになってしまう方まで様々だそうです。

そんな中、私は何ができるのだろうか。
そう考えた時にふと、社内での部下の教育に用いていた理論を思い出しました。

それはストレスやチャレンジをコントロールして進歩させる方法です。

経験学習理論

geralt / Pixabay

ストレスの度合いによってどう進歩していくかを定義する方法です。

経験的には以下の3つに分かれます。

  • コンフォートゾーン 快適空間
  • ストレッチゾーン  背伸び空間 ラーニングゾーンとも
  • パニックゾーン   混乱空間

言葉のひびきでわかると思いますが、コンフォートゾーンはリラックスして過ごすと言う空間です。そこから少しストレスが増えて、それでも頑張ってこなせる負荷範囲がストレッチゾーン。

本人のキャパシティを超える課題となった時にパニックゾーンとなって成長するどころかマイナス要因が現れます。

つまり、子供との関わりも同様にとらえ、さらに疾患の特性を踏まえて今の発達段階と掛け合わせて考える必要があります。

学校や社会、そして親御さんとの関わりの中でどこまでの指導がストレッチゾーンに収まるのかを多角的に判断して行けば子供たちがのびのびと暮らせる社会となる。

まとめ

と、言うことで、私のマネジメントの経験や医療知識、リハビリテーションの概念を掛け合わせた活動へと繋がっていく予感でワクワクしています。

武器なしの丸腰で挑んだ障害があると言われていた子供たちとの遊びの時間でわかったのは、そこには障害がなかった事がわかりました。

障害を作るのは人の心だけ

そして社会に抑圧されない子供たちの姿をどうにか実現するために私は前進します。