保育園でご飯が遅いとおこられるの。

保育園でご飯が遅いとおこられるの。

私はいつも保育園に娘と息子を送って行っている。

ある日娘がこう言いました。

「ごはん食べるの遅いと怒られる。〇〇はごはんはゆっくり楽しく食べたいのに、何で?」

娘はお世辞にも体格が良いとは言えず、成長のグラフからみてもかなり小さい方だ。

そうすると世の中は「普通」に近づけようとする。

そもそも成長のグラフなんて必要ない。大きいとか小さいに意味なんてない。

ただの現象なのだから。

あれを見て安心したり心配したりすることになんの意味があるんでしょうか?

娘が「何で?」と聞いてきた質問に

「〇〇が頑張っている事をお父さんは知っているよ」と

慰めにもならない言葉しか返せない自分に胸が張り裂ける思いでした。

そして気づいたのです。

 

あぁ、これが障がいなのか。

 

障がいって社会のルールに苦しむ事。

だとしたら小柄な娘は、障がい者そのものだ。

私は、あらがいようもない社会ルールという大きな壁を前に膝をついて倒れこんだ気持ちでした。

ごはんのおいしさを学べない子供の教育

私は以前食事に関してこんな記事を書いていました。

  • 国が考えるのは無機質な食事の提供
  • 楽しい食事とは「味」ではなく「体験」

価値経済と介護と暖かい食事

自分の一番身近にいる娘に対してこの考えが及んでいなかったのです。

基本的に士業というのは国の法律の下で活動しています。その決まりの通り、その指導の通りに動くようにデザインされています。

ともすれば、

「介護」のデザインと「保育」のデザインが違っているわけがなかったのです。

 

人間の基本的な欲求である「食欲」に対する、もっとも初期に施される教育が「時間内に食べきれないと怒られる」でいいはずがありません。

普段、私たちが心配なくお仕事していられるのも保育士の皆さんのおかげでとても感謝しておりますし、そのような指導をしている保育士さんに感謝もしております。

ですが、人間の基本的な行動である「食事」における教育的な決まりが「時間内に食べる事」ではないのは明白です。

「何で」時間内に食べる必要があるのか客観的に考えてみます。

保育園で時間を守って「食べる」意味

「時間を守る」というのは、いつも仕事をしているリハビリ業界でよく見かける場面です。

よくあるのが

家族「うちのおばあちゃん全然立てなくて車いすに移れないんです。見てください

実際におうちにお邪魔して、様子を見させてもらいます。

すると、何も手伝わなくても出来るということが良くあります。ここで多くのご家族の人がこういいます。

家族「やっぱりいつもと違う人が来ると頑張っちゃうからできちゃったなぁ」

 

そういった事がないとは言い切れませんが、ごはんに食卓にいくとかトイレに行くとかっていう基本的な欲求の時に力がでないとは思えません。

これは介護関係の人もよく勘違いして、〇〇さんはできないと相談されることがよくあります。

これも、全く同じ原因です。

 

現代人は「待つ」ができないんです。

高齢者でいえば、年齢とともに「白筋」と言われる早く動くための筋肉が選択的に弱くなっていきます。逆にゆっくり動くための筋肉、ゆっくりなら力をだせる筋肉は運動によって維持できることが科学的にも証明されています。

ですので、介護の場面で「できない」というのは凄くゆっくりならできるけど、「自分の都合のいい速さで動いてくれない」が答えです。

介護サービスは時間によって料金が決まっていますし「時間をかければ出来る」の意味や価値が社会の中に存在しません。

話しを戻して保育園の食事になります。

子供の頃に最も大事なことは、自己肯定感を作り上げる事です。

自分って「できるんだ」という無意識の中での自分への信頼です。

ここで先ほどの保育園の食事というのを考えた時に時間内に出来ることは誰のメリットでしょうか?

みんな学校にいって困らないようにとかっていうけど、学校にいって食事の事で自己肯定感を否定しながら勉強をすればいいですか?

 

「幸せに食べる」ことこそが教育

幸せ」に生きるためにお金を稼ぐ。だから勉強をしていい学校をでる?

こんなクソみたいなデザインの社会システムで幸せ」になれるわけがない。

 

早く食べる人がいたり、遅く食べる人がいたり、いろんな人がいる。

本来ここには、良いとか、悪いとかっていう概念はない。

でも現代では日本の社会に適合するものは良い、適合しないものは悪いと定義されている。

最近、よくメディアに露出している落合陽一氏が

「健常人をつくるから障がい者ができる」って言ってますよね。

「時間内に食べられるが良い」をつくるから「時間内に食べれない悪い」ができる。

リハビリテーションに関わる僕らは教育分野に声をあげるとき

リハビリテーションはラテン語で「re」再度+「habilis」適応 でリハビリといいいます。

 

だから、僕らはリハビリに関わるとともに 「ハビリス」獲得を知っている。

社会に適応するんじゃない、生きる事に適応するんだ。

幸せに生きる事、出来るという達成感が保育教育でなされていたら、年をとっても「まだできる」と思えると確信している。

僕らが未来に向けてできることそれは

健常者でも障がい者も関係なく「できる」という「ハビリス」を作ることだ。

僕らは「普通」を作りたいんじゃない。

「幸せ」をつくりたいんだ。

ただ一人の愛する自分の娘を幸せにできないのに他の人を幸せになんてできない。

僕と一緒にこの問題を考えていきませんか?

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